どこまでケアしてどこから割り切るか、人生はまさにカードゲームである
どーも、ぽわぽわです。
今回は、「命」そして「人生」について書いていきます。
本記事を書こうと思った経緯としては、以下の通りです。
昨日の夕刻、宮崎県沖を震源とするとても大きな地震があり、この地震を受けて「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」が発表されました。
今回の地震に連動して別の新たな巨大地震が起こる可能性が平常時よりも高まっているということです。
またこれは僕自身の個人的な事情ですが、先日身内に不幸がありました。
記事の内容としては少し重い話になってしまいますが、命の危機や死を身近に感じた今だからこそ書ける内容だと思っています。
それではやっていきましょう!
命あっての物種
地球にはこんな言葉がある
「命あっての物種」
意味はそのままで「何事も命あってのものだね!」ってことです。
どれだけお金があっても、どれだけやりたいことがあっても、命がなければどうにもなりません。
「金は命より重い!」
僕が大好きな某人生逆転漫画で有名なセリフですが、これは概ね事実です。
生きるためにはお金が必要ですし、お金で救える命があります。
しかし、命がなければお金があっても無意味です。
一度亡くなってしまった人間を蘇らせることはどれだけお金を積んでも不可能です(将来的に可能になるかもしれませんが)。
要は全ての物事は命がある前提での話であるということです。
リスクをケアするか、それとも割り切るか
リスクをケアするか、それとも割り切るか
カードゲーマーならよくやっていることだと思います。
特定のデッキタイプに対するメタカードを採用してケアするのか、不利対面だと割り切ってケアしないのか
これは人生においても同じです。
ちょうどこの例として現在ポケカ界隈において話題になっていることがあります。
「南海トラフ巨大地震が起こる可能性をケアして、静岡県で行われるスクランブルバトルに参加することを断念する」or「発生確率は約0.5%のため割り切ってスクランブルバトルに参加する」
もちろん僕はどちらの行動も支持します。
参加するかしないかは完全に個人の自由ですし、リスクをケアする気持ちも割り切る気持ちも十分に理解できます。
実際に起こってからでは遅い、必要以上にリスクを取る意味もない、命あってのポケカ、自分一人の命ではない(家族に心配をかけたくない)、杞憂に終わればそれでいい
こういう考えならリスクをケアする行動を取るのは自然ですし、
心配事の大半は起こらない、実際に起こった時は運の尽き、リスクばかり考えていたら何も行動できない、ポケモンカードがなかったら人生の7割8割はない、そもそも被害想定範囲が広すぎて大体どこにいても危険
こういう考えなら割り切った行動を取るのは自然です。
これに関してはどちらの行動が正解とかは別にないので…
ちなみに僕自身はそもそもスクランブルバトルにエントリーすることすらしておらず、和歌山県の白浜へ友人とホバーボード体験をしに行く予定でした(行き先があまりにも海そのものだったため友人と相談して今回はリスクをケアして断念する形となりましたが)。
リスクをケアしてスクランブルバトルに参加されない方はお家でゆっくりとお過ごしください。
何も起こらなかった時には「やっぱり行けばよかったなぁ」と思うかもしれませんが、杞憂に終わったことを喜びましょう!
割り切ってスクランブルバトルに参加される方はくれぐれもお気を付けてお過ごしください。
台風が接近しているようなのでそちらにもお気を付けて。
CL東京の優先権を手に入れ、さわやかのハンバーグを堪能してきてください!
何事も起こらず平和な日常を過ごせることを心から願ってこの記事のまとめに入りたいと思います。
まとめ:人生のプレイングは自分次第!
今回は、「命」そして「人生」について書いていきました。
「命」というのはとても大事なもので、全ての物事は命がある前提での話であるということです。
また、どこまでケアして行動するかどこから割り切って行動するか、人生はまさにカードゲームのようなものです。
杞憂に終わって笑い話になればそれで良し、今日が人生で一番若い日なのだから多少のリスクは受け入れ割り切って行動するも良し。
人にはそれぞれ考え方があるので自分の思うように人生をプレイしていきましょう!
それでは今回はこの辺で、またお会いしましょう!
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